Interview with Hasse Froberg

2014年9月にSPELLBOUNDデビュー30周年記念ライブをやったのにかこつけて、今まで聞けなかった80年代の話をHasse Fro:bergにアレコレ聞きました。ここぞとばかりに大量の質問を送ったのですが、バンドメンバーの知られざる変遷や、例の「兵役」について、謎の多い未発表曲集CDについてなどなど、丁寧に答えてくれました。長文なので、じっくりお読み下さい。
English version --->



SPELLBOUND Mark I


Q: 今日はSPELLBOUNDのメンバーとしてのあなたにインタビューしたいと思います。1983年頃、RAMPLJUDをやっていたあなたとThomssonが、AGAZIAをやっていたAlfとOlaのStrandberg兄弟に出会うところから始まります。あなたは彼らはどのように知り合ったのですか?初めて彼らと音を出したときの印象は覚えていますか?

A:当時Uppsalaにあった、Hagstro:mと呼ばれていたミュージックストアに住所を掲示したんだ、そこはThomssonと僕が、ギタリストとドラマーを探していた場所だった。Alf Strandbergが返事をくれた最初の人物で、僕が覚えている限りでは、僕たちが彼をオーディションした時は、他のドラマーも一緒にオーディションしたんだ。僕たちはギタリストを探す必要がなくなった。Affe(=Alf)は衝撃的に良かったんだけど、ドラマーはどうしょうもなかったから、Thomssonと僕は、彼にいいドラマーを知っているかと尋ねたんだ。それで、「僕の弟はドラムを叩くけど、まだ17歳なんだよ」って。1週間後、僕たちはOlaを試したんだけど、彼はAffeがギターを弾くのと同じくらい、良いドラマーであることを見せてくれた。SPELLBOUND第1期の誕生だよ。

Q: 後からAGAZIAでStrandberg兄弟と一緒にやっていたJJ Marshが加わりますね。どういった経緯でギタリストが二人になったのでしょうか?
(註:AGAZIAについては、こちらのエントリーで紹介しています)

A: Affeのアイデアで、彼が僕たちをそうするよう説得とかしたんだよ。少なくともThomssonと僕は、4人組のフォーマットにしたかったと思う。とにかく、ある日JJが姿を見せて、僕たちは演奏を始めて、それがとても良かったので、彼をバンドに入れるべきだと決めるまで、そう時間はかからなかったよ。あの時点で音楽性が本当に変わって、「Breaking the Spell」に入っている曲の多くが、JJがバンドに入ってから、最初の一月の間に書かれたんだ。

Q: ところで、Janne Starkは未発表曲集「Spellbound」のライナーノーツで、『HasseとThomsonが1983年の5月に、スウェーデンの北の街Bodenで出会った』ことがバンドの始まりのように書いています。(In May 1983 the bass-player Thomas Thompson and singer Hasse Froberg met in the northern Swedish town Boden.) しかし、あなたとThomssonはそれ以前から友人で、バンドを組んでいました。実際Bodenという街で何かあったんですか?

A: 僕たちはUppsalaのHANSA BANDというポップスのバンドと一緒にツアーをしていて、RAMPLJUDやいろいろなバンドみたいに、何年か活動していたんだ。Bodenでのショウの直後、Thomssonと僕はホテルの部屋に座って、大体ハードロックを聞いている時に、どうして僕らはポップバンドで演奏しているんだろう?って話した。僕たちはすぐに、「もうポップバンドは十分だ、ハードロックバンドを結成する時だ」と決心したんだ。SPELLBOUNDを結成したのはその2ヶ月後だったと思うよ。

Q: Sonetが主催したコンテストで、SPELLBOUNDはレコード契約を獲得しました。1st「Breaking the Spell」が出る前に、バンドは「Swedish Metal」というコンピレーションに参加しています(画像左)。他にSHED、MOTHERLODE、UNIVERSEといったバンドが収録されていました。彼らとは面識がありましたか?このレコードの品番は [SMLP-1] ですが、これはSonetがリリースした初めてのヘヴィメタルアルバムだったのですか?

A: 君が挙げたバンドの中で知っているのはUNIVERSEだけだな、というのは、僕たちが彼らをコンテストで打ち負かしたんだ(彼らは2位になったと思うよ)。そう、これが彼らが始めてリリースした、ハードロック関連のアルバムだったよ。Sonetが、僕らの「瞬時の成功」みたいなものに、本当に面を食らって、何の準備も出来ていなかったのを知っているよ。僕が軍に行っていた事実は別にしても、多くの間違いがあったし、もしビジネスに関することからプロモーションまで、すべてのことがもっとプロフェッショナルに扱われていたら、僕らはずっとビッグになれたんじゃないかなぁ。

Q: 1stアルバムのレコーディングについては、あなたのブログを読みました。その後、あなたとOlaは兵役へ行ってしまいます。当時、兵役でバンド活動をやめざるを得ないバンドは多かったのですか?

A: そうだね・・・多くのバンドがその問題を抱えていて、実際、DOCENT DO:D(当時のスウェーデンで人気があったポップ/パンクバンドだよ)のドラマーが、軍の中で組んでいた自分のバンドにいたんだ。彼はそこに居るのは3度目で、というのはツアーとかそんなことで(兵役から)離れてしまうんだ。彼と話した後、僕は10ヶ月すべてやりきろうと決心した。そうしたら、もう二度と(兵役を)やる必要がなかったからね。

Q: 「Breaking the Spell」日本盤のライナーノーツには、1984年にSPELLBOUNDは、220VOLTとBATHORYと一緒にツアーをして、大成功を収めた、と書かれています。220VOLTはわかるのですが、BATHORYは2バンドとかなり音楽性が違います。彼はあまり資料がない中でライナーを書いたので、もしかして間違いかもしれません。1984年の秋頃、「Breaking」が発売される少し前だと思うのですが、このツアーについて覚えていますか?

A: 僕が知っている限りでは、僕たちはそれらのバンドとは一緒にプレイしたことはないよ。

Q:1985年にバンドは2nd「Rockin' Reckless」をロンドンでレコーディングしました。この時の特に印象深い話があったら教えて下さい。

A: すべてのことが素晴らしかったよ。20歳で、ロンドンで有名なプロデューサーのVic Maile(MOTORHEAD、GIRLSCHOOL、Dr. FEELGOOD等)と一緒にレコーディングしようなんて、まさに最高だったよ!Vicはとてもナイスで謙虚な人物で、アレンジなどを僕たちに決めさせてくれたんだ。実際彼は、レコーディングの前に、スウェーデンに居る僕たちを訪ねてきたんだ、(アレンジなど)その類いのことをまとめるためにね。僕たちは彼と仕事をして素晴らしい時間を持てたんだけど、結局、当時のSPELLBOUNDにとって、おそらく彼は理想的なプロデューサーではなかったんだな。それほどラフでダーティなミックスをしない人物とやった方が、もっと良くなったんじゃないかな。ヘイ、とにかくアルバムはまぁまぁよく仕上がったし、現に僕たちは再び良いレビューをもらったよ。一つ、僕が絶対に忘れないことと言えば、ヒースロー空港の到着口に出て、タクシーの運転手はみんな僕らの気を引こうとしていたんだ。ギターを持った長髪の5人組・・・彼らは僕たちがウェンブリースタジアムへ行こうとしてる、と考えたんだねーその日はLive Aidだったんだ!

Q: 同年に、SPELLBOUNDはSWEDISH METAL AIDという、エチオピア貧困撲滅に対するチャリティ・プロジェクトに参加をして、多くのスウェーデンのミュージシャン達と"Give A Helping Hand"をレコーディングしました。この様子は、日本の音楽雑誌でも紹介されました。どうして参加することになったのですか?なにか面白そうなエピソードは覚えていますか?

A: 参加するか聞かれたんだ。もしかしたらバカっぽく見えるかもしれないけど、膨大な枚数のシングルを売ったんだよ。その後、その裏にいた人間達がSir Bob Geldofに握手するようになった事を覚えているよ。僕たちはテレビ・ショウやあらゆる事をやって、そのショウの内の一つの後に、StockholmのHard Rock Cafeで大規模なパーティーが開かれたんだ。全てのスウェーデンのバンドと一つの建物の中でね(それと勿論、それを知っていた、たくさんの女の子達も)。言うまでもなく、すごいパーティだったよ!!!

Q: 「Rockin' Reckless」は日本でも紹介されましたが、それ以後SPELLBOUNDの情報は日本にはもたらされませんでした。アルバムを出した後、ツアーをしましたか?どの辺りを回りましたか?

A: 「Rockin' Reckless」の後、僕は一人でプロモーションの旅に出たんだ(実際はSonetが支払ったんだけど)。僕はスウェーデンとイギリス、どちらのラジオや雑誌や新聞のインタビューを受けたよ。その後(1986年の夏だったはず)、僕たちは18日間の国内ツアーに出たんだ。−People's Parkツアーだったよ。
(註:People's Park (Folkpark)はスウェーデンの労働組合やコミュニティで運営される施設で、主にレクリエーションや、公共の娯楽のために使われている)
(当サイトには当時の写真あります!)

Q: 1986年のデモを持っています。"Everybody's Up"のような2ndの延長線の曲もあれば、キーボードが大きくフィーチャーしてたAOR調の曲もあります。この頃、バンドは方向性を模索していたように聞こえましたが、どうでしょうか?

A: 2ndアルバムの後、バンドの中でちょっと混乱があったんだ。まずAffeがJJをクビにして、違うギタリストを連れてきて、数ヶ月一緒にプレイした。その後Affeは彼自身を「クビ」にして、その結果、僕たちはJJを呼び戻した。それから4ピースでバンドを続けたんだ。これは、本当に自分たちのアイデンティティを探していた期間だと思う。しばらくして、僕たちは方向性を見つけたような感じになって、その方向性にもうちょっと合う曲を書き始めたんだ。実際、"Everybody's Up"はAffeが書いた最後の曲だと思う。20年もの間、僕は聞いていなかったけど、僕はその曲が大好きだったのを思い出したよ!君は正しいよ、そのデモの音はちょっとAOR・・・調だね。でもJJと僕が(また4ピースバンドになって)曲を書き始めて、音楽が再びハードロックに向かっていったんだ。

Q: その後、残念ながらバンドはSonetとの契約を失い、Alfが脱退しました。Alfの脱退理由は何だったのですか?

A: 上の回答を読んで。思うに、彼はバンドにうんざりしたんじゃないかな。事実、彼はそれ以来バンドで演奏したことがないよ。

Q: 同じ頃、あなたたちはKeyプレイヤーを探していたそうですが、結局4人でバンドを続けることになりました。何がうまくいかなかったのですか?

A: 短い期間に、実際に二人の違うキーボーディストが在籍していて、そのうちの一人と、実際に一緒にライブを何度かやったんだ。結局、僕たちにとってそれが正しいことには思えなかったんだよ。それから、4ピースバンドを続けたんだ。

Q: 1987年のデモでは、バンドは行くべき音の方向性を見つけたように聞こえました。作曲に関して、Alfが居たときと居なくなったとでは、何が変わりましたか?

A: 初めの2枚のアルバムは、主に僕が(曲を)書いていて、そうじゃないものでも、"Lovetaker"の歌詞は僕が書いたし、音楽はAffeと一緒に書いた。アルバムではクレジットされていなかったとしても、STIM(スウェーデンのJASRACのような団体)に僕は作曲者として登録されているから、少なくともお金はもらっているよ。うん、JJと僕は曲を書き始めた。当時、本当に共作しているわけではなかった。彼が僕にアイデアを提示して、僕がメロディを思いついて、その後歌詞をつけて、みたいな感じだった。僕が書いた曲は、多かれ少なかれ、いつもそうなんだ(今に至るまでね)。彼らに何をどうやって演奏しようか見せるんだ。

Q: '86のデモと'87年のデモを比べると、あなたのヴォーカルは格段に良くなっています。あなたはブログで、ヴォーカルレッスンを受けたことがある、と言っていましたが、この頃に受けたのですか?

A: そうだよ。4回のレッスンで、僕の声は「劇的に」変わったんだ。初めは、僕は自分のレッスンに影響されすぎていたんだけど、しばらくして、習ったことをバランスを取って使うようになった。僕がほぼ今のように歌うようになるのに、そう長く時間はかからなかった。

Q: 1988年4月、Uppsalaでのライブビデオを見たことがあります。ライブでもしっかりした演奏で、とても感心しました。レコード契約を探している間、バンドはかなりライブをやっていたのですか?

A: たくさんのライブをやったとは言わないなぁ、でも地元のUppsalaでは時々やってたし、今でも多くの観客が集まってくれるよ。

Q: このライブビデオは1時間半あります。セットリストがとても興味深いですね。LPでリリースされた曲は"Rockin' Reckless"しか演奏されていません。セットリストの半分はカヴァー曲です。当時、あなたたちは1時間半を埋める充分なレパートリーを持っていたと思います。どうしてカヴァー曲を多く演奏していたのですか?

【SPELLBOUND in Uppsala】1988. 04.27.
1. Flesh & Blood 2. Dancer 3. How Much Love 4. Damage is Done 5. Said and Done (key.Hasse) 6. Ride Ronnie Ride (lead vo.JJ)
7. You Turn Me On 8. Private Joy 9. Everybody's Up 10. Rockin' Reckless 11. Black Dog (Led Zeppelin) 12. (cover song?) 13. (cover song?)
14. Space Station No.5 (Montrose) 15. Medley of hit songs 16. Burn on the Flame (Sweet) 17. Atomic Punk (Van Halen)

(encore)
18. Rock n' Roll (Led Zeppelin) 19. Bottoms Up (Van Halen)


A: 覚えている限りでは、僕らはRackis(会場名)に、カヴァーソングを演奏するように頼まれて、僕たちは喜んで演奏したんだと思う。というのは僕たちは、いつもこれらの曲をジャムしていたからね。普通なら、僕たちはカヴァー曲をそんなに演奏しなかったし、始めの2枚のアルバムから演奏しなかったのは、当時僕たちがそれらに飽きていたからだと思うよ。

Q: このビデオではLED ZEPPELINを2曲(Black Dog, Rocke n' Roll)演奏しています。それと共にVAN HALEN (Atomic Punk, Bottoms Up)も2曲演奏していました。VAN HALENは当時のあなたたちのお気に入りだったのですか?

A: お気に入りの一つだったよ。Thomssonと僕は、1977年にリリースされた彼らのファーストアルバムに、完全に圧倒されたんだ。(註:VAN HALENの1stアルバムは1978年にリリース。)JJが、OlaやThomssonや僕と同じくらいに入れ込むのには、ちょっと時間がかかったかな。とにかく、しないより遅い方がマシだよね。しばらくして、彼は本当にVan Halenに夢中になり始めて、明らかに影響を受けていたよ。

Q: 80年代、日本では一般的に、スウェーデンのハードロックバンドはDEEP PURPLEの影響を強く受けたと考えられていました。それは本当だと思いますが、同時に、VAN HALENの影響も受けたのではないかと思っています。特に、70年代終わりから80年代初頭にティーンエイジャーだったギタリストなら、Eddie Van Halenに大なり小なり影響されたと思います。SPELLBOUNDに限らず、一般的に見てどうでしょうか?

A: SPELLBOUNDのライブの前に、僕らの影響についてブログに書いたと思うんだけど。僕たちはDEEP PURPLE、LED ZEPPELIN、BLACK SABBATH、THIN LIZZY、QUEEN、URIAH HEEP、STATUS QUO、UFO、JETHRO TULLとかYESなんかと一緒に育った(それと、VAN HALENは少し後だね)。面白いことに、少なくともSPELLBOUNDのケースだけど、僕らの音楽から、それらがちっとも聞こえてこなかったんだ。1983年か84年まで、スウェーデンのハードロックはとても特殊だったんだ。僕たちがファーストアルバムをリリースした直後、それはスウェーデンのハードロックの急激な高まりのような感じで、そこらじゅうにバンドが居て、僕は実際、スウェーデンのバンドは自分たちの音を持っていたと思うんだ−New Wave Of Swedish Heavy Metalさ。

Q: "Paradise Ride"が含まれていた1989年のデモに、Virginレコードが興味を示しました。Janne Starkによれば、相手は「もっとPhil Collinsのようにして欲しかった」と言ったそうですが、本当ですか?信じられません。

A: 本当だよ。Virginは僕たちが作ったデモをとても気に入ってたんだ。"Paradise Ride"は10曲の内の1曲で(いつものように1日か、長くて2日で、なにか10曲を録音して、ミックスをした)、それはまさにデモという意味で・・・完璧なアルバムのプロダクションではないものだった。とにかく、そのVirginのA&Rマンは僕たちに、"Paradise Ride"にもう少し取り組んで欲しかったんだよ、彼はこの歌と素材丸ごと可能性があると思っていたから。彼はどういう音を望んでいるのか、何も言わなかった。僕たちは彼のオフィスに戻って、その曲を流すと、彼は驚いた顔をして僕たちを見て、こんなことを言ったんだ。「あぁ・・・僕はもっと、Phil Collinsの"In the Air Tonight"のような音だと思っていたんだ・・・」。Virginとの契約することはなかったよ。

Q: 残念ながら契約に至らず、SPELLBOUNDは解散を決めました。この頃みんなは限界を感じていたのですか?

A: 僕としては、ふんぎりをつける時、何か違うことをする時だったんだ。僕たちは何年も熱心にトライしてきたし、何度も新しいレコード契約に近づいた。最後には戦う意志がなくなってしまって、バンドがそうなったときには、やめる時なんだよ。

Q: その後、あなたはSOLID BLUEを結成しますが、SPELLBOUNDよりレイドバックした音楽でした。メタルは嫌になりましたか?

A: ただ外に出て演奏ができる「バーバンド」を結成しようというアイデアを持っていて、そうしたんだ!僕たちは毎年ツアーに出たし、もう一度僕/僕たちはコンテスト(註1)で優勝した−まったく突然にね!SOLID BLUEはそういう感じのバンドじゃないのにね!?ともあれ、その後起きたことはスキャンダル以外の何でもなかった。僕たちはレコード契約を得たけど、コンテストの後、Swedish Televisionで僕たちに沢山の時間を与えてくれた人間が、一人を除いてすべて居なくなってしまったんだ。うーん、残された可哀想な彼には、申し訳ないと思ったよ。僕は彼を追い詰めて、SOLID BLUEの「Vol. III」のレコーディング費用を払わせたんだ。何年もかかったし、僕たちがアルバムをリリースするまでに、僕たちは事実上、終わりにさしかかっていた。それが「Vol.III」のタイトルの理由なんだ。それがデビューアルバムだとしても、レコーディングには時間がかかり、多くの良い曲がアルバムにはならなかった。それで、僕たちにとって「3枚目のアルバム(註2)」なんだ。
(註1:ROCK-SMという、スウェーデン国内でも大きなコンテストで、決勝まで残ったバンドはテレビに出て演奏することができたようだ)
(註2:もし上手く事が進んでいたら、3枚位アルバムを作ることができたはず、ということ)

Q: 解散からしばらく経った1997年に「Spellbound」という未発表曲集が、Rock Treesuresからリリースされました。実は、私はこれを聴いてSPELLBOUNDのファンになったので、もっと多く出回って欲しいのですけど、どこにも見当たりません。どういういきさつでこのCDは制作されたのですか?

A: 僕たちはMega Recordsのある男から連絡をもらって、彼は僕たちの未発表曲をCDでリリースしたかった。僕たちは、Stockholmの中心地にある、お洒落なオフィスで彼に会って、そこであれやこれやを約束されて、しばらくして契約をしたんだ。僕たちが1銭もお金を見ていないし、それ以来この男から何も連絡はないって、言うまでもないよ。僕のレコード業界の体験は、まったくポジティヴではないと言わざるを得ないね!



デビュー30周年記念ライブのポスター


Q: さて、最近の話をしましょう。9月6日にSPELLBOUNDデビュー30周年記念ライブが行われました。そもそも、何がきっかけでこのライブが企画されたのですか?

A: 去年の夏、Krom(Uppsalaのハードロック団体だよ)のMats Ja:rnilが、2014年に、SPELLBOUNDが「Breaking the Spell」をリリースして30年になる、と教えてくれたんだ。「来年の夏に再結成ライブができたらスゴイじゃないか?」って。僕はいいよ、って言ったんだけど、他のメンバー達はどうかわからなかった。とにかく今年の6月に、彼は再び、真剣に僕に尋ねてきたから、ミーティングをしたんだけど、Affeがやりたがっていなかったのは明らかだった。だから、もし4ピースバンドでいいのなら演奏したいよ!って言ったんだ。KromもOKで、ライブは2ヶ月先にブッキングされて、その2週間後に僕たちはリハーサルを始めた。本当にクールだったことは、この後で僕たちはAffeを説得出来たことだよ。最後の4曲に彼も参加して、最高に楽しかったよ!

Q: SPELLBOUNDは2002年にもライブをやっています。このメンバーが集まるのは12年ぶりですが、リハーサルはスムーズに進みましたか?

A: とってもスムーズだったよ。僕たちはみんな、とても活発に演奏しているから、正しいエネルギーとパワーを引き出せるかどうかの問題で、僕としては大成功だったね。もし君がその夜の観客に尋ねたら、同じ答えが返ってくると本気で信じてるよ。

Q: どのような客層が中心でしたか?また、観客のライブの反応はどうでした?長らく待っていたファンも居たのでは?

A: ほとんどのオーディエンスは、僕たちの音楽と共に育ってきたけど、勿論、もっと若い人達もその夜にはいたよ。ライブの後の反応とフィードバックによれば、このライブは成功としか表現できないよ。比較的小さなクラブに、650人ものお客さんが集まったんだ。ライブの間、あんなに汗をかいたことはなかったよ。Allstar(会場名)は暑くて、親密で、湿度が高くて、"Loud & Dirty"だった・・・というのが一番いい表現じゃないかな。

Q: 30年経った今、1stアルバムを振り返ってみて、どんな印象をお持ちですか?「ここをこうすればよかった」と思う箇所や、昔だからできたことなどありますか?

A: ほとんどの曲はいいと思うよ、特に、僕たちが18歳から20歳の間にレコーディングをした、という事実を考えれば。ひとつ、誇りに持てないことは歌詞かな・・・ハハハ・・・どうして誰も僕に言わなかったのかな、君、あれは変えるべきだよとか、なんでもいいからさ。僕たちにはプロデューサーが居たけど、彼はそれについて何も言わなかった。とにかく、僕はAllstarのショウ以前の、2002年(のライブ)以来、聴いていなかったよ。言うなれば、クオリティ的に欠ける部分があるけど、それが逆に魅力になった、かな。

Q: 当日のライブのセットリストを見ると、1stと2ndの曲が半々ですね。多くのバンドがやっているように、「Breaking the Spell完全再現」みたいなセットは考えませんでしたか?

1. Streetprowler 2. Burning Love 3. Dying for Your Touch 4. Drinking Alone 5. She Gives me Heaven 6. Mistreated Heart
7. My Poor Brain 8. Crack up the Sky 9. Hooked on Metal* 10. Rocking Reckless*

(encore)
11. Seducer - Lovetaker* 12. Loud and Dirty*
(*=with Alf Strandberg)

A: そうしようか話し合ったんだけど、これがより良い解決法だったと思うよ。

Q: 動画で紹介した"Paradise Ride"をやらなかったのはなぜですか?ライブでこのコーラスが再現できたら感動的だったと思うのですが。

A: "Paradise Ride"をやることを実際話したんだけど、セットリストの他の曲と比べると、なんかちょっと「規格外」に感じたんだよね。

Q: "She Gives me Heaven"はいつ頃作られた曲ですか?

A: わからないなぁ・・・それについては100個も違ったヴァージョンがあるんだ。100個じゃないかもしれないけど、少なくとも3パターンはあるよ。

Q: 2002年のデモから"My Poor Brain"を演奏しています。このデモが制作された頃、あなたたちは10曲ほど書いたそうですが、いまだに3曲しか表に出ていません。残りの曲を仕上げてリリースする予定はありませんか?

A: さしあたり、BRIDGE TO MARSとHFMCでゴタゴタしているけど、でもどうなるか分からないよ。

Q: リリースと言えば、去年SPELLBOUNDの80年代の作品が再発される予定がありました。あれはどうなっているんですか?

A: その計画はほとんど実現するところだったんだけど、現在のレコードレーベルの配給が、僕たちのアルバムがリリースされそうになる前に、倒産してしまったんだよ。関わったみんなにとってラッキーだったのは、まだCDが生産されていなかったんだ。「Breaking the Spell」と「Rockin' Reckless」のリリース計画は、ちょっとした野望だったんだ。アルバムはリマスターされて、新しいブックレットとライナーが付くはずだったよ。

Q: SPELLBOUNDとして、今後活動する予定はありますか?ライブのオファーは受けていますか?

A: 今のところ何もないけど、どんな可能性も無視しないよ。

Q: 同時に、あなたはHFMCの3rdアルバムを制作中です。これはいつ完成しそうですか?

A: それがわかればいいなぁ。9月が終わる前に、発売に関するニュースがあればいいけど。

Q: 3rdアルバムについて、何か話せることがあったら教えて下さい。これまでのアルバムのように、ハードロックとプログレを上手くミックスしたような作品でしょうか?

A: みんながHFMCと認識すると思うけど、今回は大きな違いがあるんだ、それはプロダクション面なんだけど。アレンジはもっと進歩していて、今回は「たくさんの」オーヴァーダブがあるんだ。他に違うところは、このアルバムでは、バンドのみんなが歌っているんだよ。僕たちはとても成長したし、このアルバムで大きく前進したと思うんだ。勿論、聴く人たちや批評家達がどう考えるかは分からないよ。個人的には・・・ある人達は「Future Past」か「Powerplay」が大好きなんだけど・・・彼らは新作はtoo muchと思うかもしれないね。僕が出来ることは、このアルバムを僕と同じくらい、みんなが好きになってくれることを願うだけだな。

Q: ところで最近、Roind StoltはKAIPA DA CAPOを始め、Tomas BodinはJonas ReingoldとFelix Lehrmannと共にBARRACUDA TRIANGLEを結成しました。THE FLOWER KINGSはしばらく活動休止ですか?

A: そのようだね。「Banks of Eden」から、僕たちはがむしゃらに働いてきたと思うんだ、特にRoineはね。2年間ずっと曲を書いて、レコーディングをして、ミックスして、リハをやって、TFKとTRANSATLANTICとツアーをした後で、思うに、KAIPA DA CAPOはRoineに必要なことだったんだ。願わくばこれが、TFKから離れて、HFMCの新しい冒険を完成させる時間を、僕に与えてくれたらいいんだけど。

Q: 次は11月、Sweden Prog FestとGo:teborgのライブに、HFMCとして出演します。最後にあなたのこれからの予定を聞かせてください。

A: そうだね、これらのライブに対してYesと言った時は、ツアーの一部ではないと理解したんだ。これは再びライブで演奏する機会であり、それはいつでも良いものだよ。それとは別に、僕たちはみんなに、もうすぐ新しいアルバムができることを話したり、HFMCについてのウワサを広めることもできるしね。

ありがとうございました!

(14.10.01.)
all copyrights Momo 2014
photos from facebook of Spellbound and HFMC, and private collection
thanks: Yayoi, Yumi Hara


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